鯰美紀さんのお父さまも6月に亡くなられたそうで、この記事を読んで、

いかに 私はまだ 悔やんでいるかがわかった。

ヘルニアはストレスも一因となるようなので 知らない間にストレスになっていたのかも?

お母さんへ感謝や尊敬もあるのに かき消されていたなーと気づけたのと

もうすぐ四十九日で

お母さんの立派だったところ、書き出しておきたくなったので書いておきます。

お母さんの好きだった紫色

【綺麗好き】

・冷蔵庫、台所、風呂場など かなりの頻度で徹底的に掃除をされていてピカピカだった

・2階との間の階段掃除もしてくれていた

・掃除は 掃除機とクイックルワイパーの2回掃除が毎回

・庭の雑草取りも 頑張られ、お花もたくさん植えられ きれいな家周りを作られた

【料理】

・前日夜にだしを取り、翌日使うというスタイルを約50年間続けられた

・夫からの 毎日30品目の食事をという申し出に答えておられるのを約50年間続けられた

・毎朝5時起き、朝ごはんには 10種類くらいのおかずが並んだ

・外国の野菜を極力取らず 日本の野菜にこだわって食べておられた

・自分で煮るまるやまが大好きだった。(あっさりおいしい)

・旦那さん(私にとっては義父)の弁当を35年間平日ほぼ毎日作り続けられた。

【夫を支えた】

・旦那さんは 大変出世され、テレビや新聞にもちょくちょく出られ、叙勲をもらわれるくらいになられた。

・教員で家の事が出来ない夫に代わり、家事や子育て、家のことを全てがんばって来られた

【性格】

・可愛いものはとことん可愛がられたので 孫はもちろん、めいっこさん、私のめいにも声かけや愛情を注がれた

・間違っていることは大嫌い。

・自分が納得できることが全て

・嫌なことはしない

・ブレのない考え

【私に対して】

・厳しく、ズバズバものを言われるタイプのためしんどかった時期があるのも事実。

・完璧なお母さんに対してかなりダメダメな嫁をもらい、諦めの境地と言いますか、受け入れてもらっていたんだなと思う。

・朝出勤前に 慌てて会社に行く私の様子を心配され、

あんた ケトケトして 行かれんなー!危ないから

とよく言われていた

【双子育児】

なんと言っても、私が働くのをやめず 子育てできたのはお母さんのおかげ。

産休明けの6ヶ月から1才半で保育園へ行くまでの一年間 日中 一人で双子達のお世話をして下さいました。

【最後の3ヶ月】

自分のことは諦め、残された家族がいかに過ごしやすいかを考えておられた。

お父さんには、葬儀で話すとき泣かないようにと伝えたり

冷蔵庫掃除は2ヶ月に1日全部出してやるように言われたり、

納屋の片付けを言われたり(ゴールデンウィークにでき安心させてあげられました)

【葬儀後】

四十九日前まではおばあちゃんは見えないけどそばにいて、四十九日になったら天国へ行かれるからねと伝えてから息子は毎日 仏前でお参りをしています。

おばあちゃんのこと大好きだったんだなとつくづく感じます。

ありがとう。

おかあさん。

 


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