聴覚に対し過敏のある 息子D。

幼い頃Dの 聴覚過敏の様子はこんな感じでした。

・近くの花火大会では その日のお昼12時頃からずっと耳をふさぐ

・花火が始まるとずっと泣きっぱなし

・高速のETCやカーナビがしゃべるのがこわく車に乗るとずっと緊張していて全くしゃべらない

・学校の放送がこわく、放送をかけた先生へ かけないでくれと職員室へ 泣きながら 訴えに行く

・給食の時間に流れる放送がこわいため 終わるまで 廊下で待ち、終わってからやっと給食を食べ始める

・家で 急になる電話の音が怖く電話がなると 受話器を取りすぐ電話を切ってしまう

などなど。

でも

これらの困り感は今ではありません。

見出し

なぜ克服できたか?を振り返ってみた

 

1.楽しみと結びつけられるように周りの世界への理解が進んだから

花火は怖かったけど 花火大会と同時にするお祭りは大好きで 楽しさの方が段々と勝り、年々耳ふさぎが 薄まっていきました。

音について自分で鳴らすのは怖くないらしく、ピアノを習ったりして 楽しめるものを増やしていきました。

2.周りが理解してくれるようになったから

電話をすぐ切るので 毎度 義父母に私と息子が叱られていました。

でも最終的には理解してくれ、電話の音の色んな音の種類を試し、怖く感じないものに 義父母が変えてくれました。

3.本人の成長や関わって頂いた先生方のおかげ

とても成長したと思います。

あの頃は出口も見えず 親子とも困り果てていました。

でもいつかこんな日が来ること、今悩んでいるお母さん子どもたちに伝えたいなと思います。

 

4.発達支援コーチ 灰谷孝さんに出会い原始反射統合のアプローチを続けてきたから

息子Dは恐怖麻痺反射という原始反射を強く保持していました。

周りからの刺激をこわいものとして自分を固め守る反射で発達過程で大切な反射ですが、

本来身動きの取れない胎児時代に必要な反射であり、生まれてくる段階では統合されているもの。

これを生まれてからもずっと保持していると自分でもコントロールできない範囲で周りからの刺激に対して身を固めてしまいます。

でも、発達支援コーチ灰谷孝さんに出会い、家で取り組めるアプローチを習い続けるうちにこの恐怖麻痺反射がかなり統合されてきました。

これはもっと早く出会いたかった!

もっと多くの人に伝えたい!と思い私も発達支援コーチをやりはじめたのでした。

 

現状の 過敏さ

まだ持っている聴覚過敏はあります。

例えば

見たことのないテレビ番組、新番組は音を聞くもの嫌で 音量は0にしないと気が済まない。

というものがあり、
毎朝、息子Hとケンカに。

こう言った過敏は 悪い事ではないという考えもあると思うのですが、

トラブルの元になるのは本人も周りもやはり辛い。

 

だいぶ聴覚過敏が和らいで来たけれどもう少し ここから自由になれたら!
あと どうしたらいいだろうと思っていたところでTLPという
音楽療法を 再度 やってみようかと思ったのでした。

 

TLPとは?に続きます。

 


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