やまゆり園の事件から想うこと

容疑者の犯行は 許されるものではないですが、でも 今の世の中、

優秀な人はもてはやされ、
できない事が多い人は 疎まれる。

という 概念が大多数の人の中にある社会なのではないかな?
悲しいけれど。

うちの息子は できない事も多いが 存在が 癒しである。

どんなに叱られても翌日 私の顔を見て
「ママ、おはよう」と微笑んでくれる息子にどれだけ癒されてるかわからない。

とはいえ、宿題をトロトロしてると ついつい イラッとしてしまう母ですが
(トロトロしてしまうのも 身体や脳の特性だと理解している 発達支援コーチなのにね。)

この件も、先日、いつもお世話になっている先生の言葉で救われる想いがした。

「学校側が ○○くんに合わせた宿題を出してないからで
宿題となると そりゃお母さん 必死になってしまいますよね。
お母さんは悪くないですよ〜」と言って頂けた。

ちなみに、この発言のおかげで宿題の件は 学校側に相談し、息子に合わせて頂けることとなり、解決している。

存在が癒しと思っている息子へも そういった、宿題をやらせなければ!という環境から
怖い母になってしまう私もいるのだ。

そして、あまりに勉強が大変そうなのでついつい私は息子へ

「○○ちゃんが楽しく勉強できる、支援学校へ行ってもいいんだよ〜」

と言うが、それがまた息子は いやらしい。

息子にとっては 支援学校は いつか行く場所。
それが中学からか 高校からか の違いで。

コミュニケーションはだいぶ取れるようになって来たが、
まだまだ な部分が多いし、

このまま感じでの成長では、
普通に就職活動をして うちの子が選ばれる理由が まずない。

職に就くなら 障害者枠としての採用しか道がなく、そのためには支援学校へ行くべき。

みんなが口を揃えてそういうからそうなんだろうなぁと80%くらい私も思っている。

でも その先の未来が 幸せなのか?と思うと こういう事件があると
どうなんだ?と思う私もいる。

 

こんな事を言うと、そんな都合のいい事無理!何て言われるかもしれないけど、、

障害があっても、
できない事が人より多くても
それでも

その子が 幸せに過ごせる社会を望みます。

いつ変わるかわからない社会に期待を望むより、
自分でできる事としたて 少しでも 彼の生きづらさを緩和する事に
力を入れているわけですが、
たまに そういう事も思います。

いつ変わるかはわからないけれど これから社会か変わって行くのは確信しています。

ここまで 心に向き合う人が増えたのも。
ここまで 心の病になる人が増えたのも。
ここまでワンピースが人気あるのも。(みんな個性的だけど輝いている麦わら一味)

社会の当たり前が変わる
サインなんじゃないかなってね。 

 

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この写真は息子が楽しみにしてる 私の実家でのバーベキューの自作チラシ。

イベント大好きで仕込みが忙しそうです。

こういうの何かに活かせないかなぁ〜

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