遠回りした理由その2・心の傷に対し、蓋をしたままだった

最初に我が子が発達障害の診断を受けて私もショックを受けたと書きましたが、

実はこの部分あまりしっかり感じることなく、過ごしてきました。

つまり、どうしたら子供たちの障害が治せるだろうか?ということを最優先にし、

自分の心は置き去りにしたまま走り続けてきました。

そうすると、なぜか不意に、私はがんばってきたんだから!!みたいな

何か変なエネルギーを自分が出す時があるなと思うようになったんです。

とっても被害者的な感じのエネルギーです。

 

これ以降でも書きますが、子育てについて私だけが頑張ったのではありません。

でもなぜか、悲劇のヒロインのような気持ちになってしまうことが多かったです。

 

こういう風になる理由は当時の心の傷向き合ってなかったからだということがわかり、

今から2年前にようやく当時の感情を丁寧に味わってみました。

更にそのあと、なぜショックに感じるのかを掘り下げることで

なぜ私がこんなにも子どもたちを治そうと頑張ってきたのかが分かりました。

 

その原因は、祖父の存在を誤って認識していたからでした。 

祖父は、私が生まれる前に脳梗塞と糖尿病により、体が半分麻痺して、

かつ意味のある言葉を話せなくなってしまっていました。つまり障害者となっていたのです。

 

祖父はなぜか家ではいつも私のそばにいて、仕事もせず家ではなんの役にも立たないくせに、

よくわからない言葉で私を叱ってくるし、おじいちゃん、嫌いだ・・と思っていました。

 

でも、祖父が赤ちゃんの頃の私を抱っこしている写真を見つけて、

私はそれまでとても偏った見方をしていたと気づくことができました。

 

私を嬉しそうにだっこしている祖父の写真を見て、

私は祖父に愛されていたということがスーッと入ってきました。

 

祖父が私のそばにずっといたのは、子どもの私をみるためでした。

祖父がいてくれるから、祖母は家事をできるし、父母は仕事に行くことができました。

障害者になった祖父を役に立たないと思っていたのは私だけで、

祖父は障害者になっても家族から大事にされていたのでした。

 

それなのに、私は障害=疎ましい、役に立たないというイメージをずっと持って生きてきており、

私は我が子がそうなってしまうことが耐えられず、

なんとか普通にしようと頑張ってきたんだということがわかりました。

 

その自分の行動の原点の思い込みだったという事実、

ここに気づいてようやく、とっても楽になったんです。

 

子どもたちが発達障害の診断を受けてからもう15年も経っていました。

 

なので、これを読んでいただている方には、

そんなに長い時間心の傷を放置することなく、

軽やかに子どもたちとの時間を心から楽しんでもらえたらいいなって思っており

その具体的なことについても後でふれたいと思っています。

【まとめ】

<遠回りした理由その2

心の傷に対し、蓋をし、しっかり感じたり掘り下げたりすることなく行動した。

 

<失敗からの教訓2

辛い時は思い切り感じ切ろう。

辛い感情も自分の一部であって、切り離しはできない。

何年たとうがずっと心の中にある。

しっかり感じたり掘り下げたりすることで心の傷はだんだんとそれは昇華されていく。

感情が昇華されるとその先に別の世界がある。

なぜ自分はそのことに辛さを感じるのだろうか?と

自分の中を見ていくと自分の無意識の行動選択をしている思い込みに気づけ、

今までと違う世界を感じることにもつながる。


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